2015年5月6日水曜日

【旅】秋田県でなまはげを体感する。

投稿:2013年12月27日付け
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2013年12月の3連休、人生初!東北を旅しました。
秋田県秋田市の美術館に、
画家・藤田嗣治氏の巨大絵画があると知り、
見てみたくなったのです。
せっかくなので、秋田市から車で1時間ほどの
男鹿半島にも足を伸ばしました。

秋田県の名所


羽田空港から約1時間で、秋田空港に到着。
クリスマス前の秋田市は、どんよりとした曇り空続き。
しかし予想よりは積雪も少なく、
雪の影響を受けることなく楽しめました。

ところで、東北の地理って実はよく分かっていない私。
地図をみてみましょう。

東北の真ん中を、奥羽山脈が背骨のように連なっています。
秋田県北部には、一部が世界自然遺産にもなっている
白神山地が広がり、岩手県盛岡から日本海沿いの秋田市めがけて、
秋田新幹線が東北を横断。
年末、JRで秋田のディスティネイションキャンペーン
をやっていましたが、あのポスターにあったように、
秋田県のかたちは、まるで人の横顔みたい。
私が今回訪ねた男鹿半島は、ちょうど人の鼻の部分だったんですね。
はじめて知りましたよ。


さて。
秋田市の夏の風物詩、竿燈(かんとう)まつり。
東北の有名なお祭りのひとつですよね。
ながーい竿竹に、提灯が稲穂のように並ぶ、これが竿燈。

秋田市には、冬でも竿燈を体験できる場所がありました。
その名も、

です。
実際に、この竿燈を持たせてもらえます。
持つ、というより、
手のひらに竿の底辺を乗せると言ったほうが正しい。
手のひらだけで、最長12m、最大50kgの竿燈を支え、
歩くのです。…すごいなあ。

もちろん、体験用で使うのは、そんな大きなものではなく、
竿燈の中でも一番ちいさい5kgの子ども用。
…が、ただ手のひらに乗せるだけとはいえ、
相当のバランス感覚を要します。
人によってはすぐにコツをつかんで、
「歩く」ステップに進むようですが…


訓練を重ねることにより、こんなとこに乗せられるように!


次は夏の祭の時期に来て、
竿燈が街を練り歩くところを見てみたいなあ。

秋田市の夜ご飯は、JR秋田駅近くの料理屋さん「金平」で。
ハタハタの塩焼きやタコの唐揚げ、お刺身など、
海の幸をたっぷり頂きました。
料理もお酒もすべておまかせなんてなかなかないですよね。
地元の常連さんで賑わっていました。

酒の旨さをかみしめる夫。



2軒目は、旅の下調べで目をつけていたジャズ喫茶へ。
ジャズスポット「ロンド」です。
米蔵を改装して創られた、こだわりの大人の癒し空間。
香り高いコーヒーとともに素敵な時間を過ごせました。




2日目は、朝から雪。

男鹿半島の天気は、実に移り気。
吹雪いていたと思ったら青空が広がり、
しばらくしたらどんより雲。そしてまた雪…。

男鹿半島は、なまはげの里なんです。
秋田空港に降り立ってからJR駅、秋田市内、
どこに行ってもなまはげのオブジェやキャラクターに出会いましたが、
実際になまはげの風習が残るのは、ここなんですね。

男鹿には、「なまはげ館」や「男鹿真山伝承館」といった、
なまはげ文化を知る観光スポットがあります。
なかでも「男鹿真山伝承館」は、私にとって
この旅いちばんの思い出深い場所になりました。

ここでは、なまはげの実体験ができるんです。
ひとくちになまはげといっても、
地区によってその形態はさまざま。
ここで見られるのは、真山地区のなまはげです。

伝承館は一見、藁葺き屋根の民家。
よそのお宅にあがるように玄関で靴を脱ぎ、
中に通されました。
玄関から障子一枚のところに20畳ほどの居間があり、
仏壇といろりがあります。
私たち見物客は、いろりの奥に固まって座り、
シーンと静まり返る部屋の隅で、じっとなまはげを待ちました。

これからなまはげが来るんだと、分かってはいたのですが、
実際の登場は、それはそれは恐ろしかった。
子どもが泣くのも分かります。
雨戸を閉め切った居間でしたが、なまはげはまず、
家の外から障子を叩くんです。
ドンドンドンッ… ウオーウオー…

やってきたのは、2人のなまはげでした。
「悪い子はいねが、悪い嫁はいねが」と家の中を探しまわります
(嫁もなまはげに脅される対象だったのか!)。
家の主人は、
「家には悪い子も嫁もいません、
さあどうぞご馳走を用意しましたので、食べていってください」
となまはげをもてなします。

なまはげはなかなか納得しない様子で、
主人との問答を繰り返しますが、最後には
「来年もこの家に福が来るように」と言って、
去って行きました。

私は、なまはげが想像以上に対話をし、
礼儀正しく訪問をすることに驚きました
(ただ騒いで嵐のように去ってゆくのだと思っていた…)。
なまはげが、とても神聖な存在であるのだ
ということを強く実感したのです。
一方で、素晴らしい風習なのでこれからも残してほしい、
と、外から簡単には言えない大変なものだとも感じました。



お面は、表情を変えない。人間がお面をかぶるだけで、人間じゃなくなる気がする。
お面をつうじて神様が人間の心を見透かしているようで、ドキリとする。

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