2016年2月24日水曜日

[ミャンマーの布]日本人女性の心をつかむ、モン族の綿布。

モン族のロンジー布。伝統的な柄。

ミャンマーに来てから、
私はたくさんの布を買いました。

東京に住んでいた時は、電車を乗り継ぎ、
布の卸しの街・日暮里へでかけ、
迷いに迷って結局ほとんど何も買わずに
街を去ることもしばしば。

ヤンゴン生活では、車で20分。
私好みの布があふれる市場やお店に、
気軽に立ち寄ることができます。

布を買う便利さと安さで言えば、
東京よりも断然ヤンゴンが好きだ!


今でも服を仕立てることが
日常にあるミャンマー。

伝統の巻きスカート「ロンジー」は、
簡易だけれどとても合理的な民族服です。
一枚布を縫い合わせて作るので、
街にはたくさんの布があふれています。

ヤンゴンには、ミャンマー全土の布が集結。

他民族国家らしく、
それぞれの民族に伝統の柄があり、
最近ではそれらが融合し、新柄がどんどん出て来る。
ミャンマー織り物の世界は実に多様で、
楽しいのです。


なかでもよく買うのが、モン族の柄。

左がモン族の布。これでロンジー作りました。

魅力的な柄はいろいろあるけれど、
いちばん使い勝手のよい柄が、これなのです。

ロンジーはもちろん、
スカートやパンツなどに仕立てても可愛い!

私の身長は低いため、
大きい柄だと「着られている感」があり、
ちんちくりんになってしまう。

モンの柄は、
小さい黒の花柄と細い多色の縞模様が特徴で、
身につけたときの主張は控えめ。

色がたくさん入っているので、
上の洋服とあわせやすいのもうれしいです。

モン柄が使いやすいと考えるのは
日本人女性に共通しているようで、
私の周りには、この柄が好きな日本人女性が
何人もいるんですよ。


ロンジー布のカラーバリエーションは無限!

市場にでかけるごとに新色に出会えます。
でもその反面、
同じものを二度と見つけられない場合も。

例えば、上の写真の淡いピンク色は、
この時以降、見かけたことがありません。

もし「いい色!」だと思える布に出会えたら、
買っておいたほうがいいですよ。


これは、モン族の村があるバゴーで買ったもの。


右上のパステル調ピンクは初めて見ました。

この他にも、シルクで作ったものや、
ラメをたくさん織り込んで輝くもの
なんかもあります。


ロンジーでは着れない派手な布でも、サンダルなら試しやすいです。
わかりづらいですが、
このサンダルはキラキラのモン柄布。

そう、モン柄は、
洋服以外のアイテムでも
非常に使いやすい布なのです!


お友達愛用のお財布。ジップが2つ付いていて、使いやすい。


某カフェのクッションも、モン柄! まねしたい!
モン柄のクッションカバーは、
ヤンゴンの雑貨屋さんでも
商品として扱っているところがありますよ。

手芸好きなら布そのものを買うのもいいし、
お土産ならこういうクッションカバーが
おすすめです。



○ロンジーやワンピのお仕立て
日本人経営の仕立て屋さん「ハリコ

○クッションカバー等布小物
センスよいお土産がいっぱい「ポメロ

○布を買う
じっくり選べる貴重な店「ミャンハウス

2016年2月23日火曜日

【ヤンゴンめし】※閉店※ Peperoni Pizzeria:パゴダビューのイタメシ。

(2018年11月追記)
「Peperoni Pizzeria」は閉店しました。



天井が高くて、ひろ〜い店内。

共にバガンを旅したKさんが教えてくれた、
イタリアンのレストラン「Peperoni Pizzeria」。

実に素敵な店だったので、紹介します!

メインはその名の通り、ピザ。
ミャンマーのレストランはひと皿の量が多く
食べきれないことが多々あるため、
私たちが注文したのは、
サラダとシーフードピザMサイズを1枚のみ。

あ、その前にフレッシュジュースも
飲んだのでした。

まず、そのジュースが美味しかった。
ミャンマーのフルーツジュースは、
砂糖がたくさん入っているのですが、
ここのジュースは、くだものだけの
自然な甘さに近かった。

ロケット(ルッコラ)のサラダも
シンプルな味付けで好みだったし、

何よりピザが旨い!

うすい生地が特徴の、ローマ風です。
うすい生地はローマ風で、
厚めの生地はナポリ風なのだそうです。

シーフードピザMサイズは、
あっという間にぺろり。

「もう1枚いけますよね」との合意のもと、
ハムときのこのピザを注文しました。


値段設定は、少し高め。
ピザMサイズが12,000チャット。

ただし飲み物やその他の料理は、
ヤンゴンピザレストランの雄
「パラミピザ」より、やや安めの印象です。

フレッシュフルーツジュース 3,000Ks
ロケットサラダ 5,000Ks






2階にあるレストランなので、
窓からはシュエダゴン・パゴダが見えました。
これはいい!
夜に来てみたい!

パゴダ・ビューの店は、
アテンドにもよさそうです。



日本大使館と同じ通りにある、
落ち着いた雰囲気のビジネスセンター。

その敷地にあるレストラン棟の2階です。


Peperoni Pizzeria
(日本大使館そば)
Union Business Center (UBC) Annex B, Nat Mauk Road, Bo Cho Quarter Bahan Township, Yangon
Tel  (+95) 0930258399
12:00〜15:00、18:00〜22:00
http://www.peperoni.com.mm

2016年2月16日火曜日

[バガンの旅6]お土産の買物と、泊まったホテル

エーヤーリバービューの中庭。宿泊したのは正面の建物

[ホテル]エーヤーリバービューホテル

エーヤワディ河が一望できる、
オールドバガンエリアから選びました。

私たちの部屋からは、
ほんの少しだけしか河は見えなかったものの、
水回りも問題なく快適。


ホテル敷地内の庭から、
エーヤワディ河が見渡せる。

広々ツイン。美しい庭が見え、採光抜群。


朝食のバイキング、美味しかったです。

唯一の欠点は、別の記事にも書いた、
夜中の大音量BGM。

たぶん仏教のありがたい歌を
流しているのですが
カラオケ大会にしか聞こえません。

夜1時頃目を覚ますと、
まだ鳴り響いていてびっくり。

繊細な人はねむれないかも…



大きなうるしショップだと、店の裏や2階に工房が併設されてることも。

[買物]おすすめの漆ショップ


バガンといえば、うるし製品。

とは言うもののバガンはヤンゴンより
安く買えるわけでもなさそうです。
(勿論モノによりますが)

運転手さんおすすめの漆店
「MYA THIT SAR」を訪れた時のこと。

英語が堪能な店の女性が、
外国人客にむけて英語で
自社のうるし製品の説明をしていました。

彼女の話によると、
漆製品は山のように作られているけれど
なかには自然のものでない材料を使ったり
人の口に触れる食器としては
使用しないほうがよいものが
あることを知りました。

要は、
「うちの工房は丁寧に時間をかけて
良い物を作っている。
丈夫で、食器としても安心して使えますよ」
というアピールなのですが、
良いうるし製品と悪いうるし製品は、
正直わたしには見分けがつきません。

それでも、彼女の営業トークにつられて
私は小さいお椀をふたつ買いました。

この店には、ヤンゴンでは見かけた事のない
デザインもたくさんあり、商品が豊富でした。
2階で作業中の漆工房も見学できます。
おすすめ。


MYA THIT SAR Lacquerware Work Shop
Myin Ka Pa, Bagan
0095-6165-178


シンプルな黒塗りのお椀。ふたつで20ドル。布は、ミンナンドゥ村で買ったもの。

Kさんは、うるし塗りの箸とペン立てを
別の漆店で購入。

うるしの箸は、最後に立ち寄った店で
やっと見つけることができました。


ミンナンドゥ村の、バガン綿布


ニャウンウーの市場で、
バガン産の布だというものを
幾つか見せられましたが、
好みじゃなかった。

綿の村ミンナンドゥで、おばあちゃんが
糸つむぎを実演していた場所に
わずかですが布が売られていたので、
その村で作ったという
黒いストライプの綿布を購入。
(上写真)

これでスカート作りたいなあ。




青年のサイン入り象イラスト(砂絵の下地)。紙と布の中間のような素材に描かれています。


よき巡り合わせがなかった砂絵

バガンの寺院に行くと
必ずと言ってよいほど実演販売しているのがこれ。

2日目に行った寺院の出入口で
砂絵を描きながら、
自分の作品を売っている青年と遭遇。

青年は、足を止めた私たちに向かって
「プレゼントです」
と言って象のイラストを
サラサラ描きあげました。

よく砂絵のモチーフになっている、可愛い象。
タダではもらえません…。
Kさんの生まれた
金曜日の動物のイラストも描いてもらい、
わずかな金額ですが、2枚まとめて買い取りました。
いい思い出。


もし私がヤンゴン在住じゃなく
日本から来た旅行者だったら…

砂絵や漆製品はもちろん、
籐製品やロンジーの布など
大量に買いこんでいたに違いありません。

バガン旅日記、終わり。

 ・[バガンの旅5]2日目:朝日鑑賞〜アーナンダ寺院、村の生活をのぞき見。


[バガンの旅5]2日目:朝日鑑賞〜アーナンダ寺院、村の生活をのぞき見。

2月11日(木)

5:00
気球と朝日を見たくて、
今日もなんとか早起き。

早朝だけあげられる気球は、
バガンで人気のアトラクション。
乗るのは怖いですが、
どんな風にあがるのか、見てみたい。

2人そろって、ロンジーを着て出発!


6:00
ホテルから車で約5分ほどの
場所にあるパゴダに上って、
他の観光客の人々と共に
じっと朝日を待ちました。

風はなく、多少肌寒い程度の気温。
半袖の人も多い。


6:30過ぎ
空が桃色に染まり始めるも
太陽も気球も出てきません。




今日は朝日はみえないかな、
とあきらめてパゴダを降りたら、
別のパゴダに上った運転手さんが
「こっち、こっち」
と手を振っていました。

気球があがるのは、これからのようです。

運転手さんは、
立派な一眼レフを持参していた。
かなり写真が好きな人みたい。

しばらくすると遠くのほうで、
ボコボコ丸い球体が姿を見せはじめました。

そして、ゆっくりゆっくり
上空へ…



料金は1人300ドル以上なのに
こんなにたくさんの気球が
稼働するくらい客がいるなんて。

上空から眺めるバガンは
さぞかし絶景なんだろうなあ、
気持ちいいんだろうなあ…
と羨ましくなってきました。


7:00頃には
太陽を顔も出しました。


お腹が空いたのでホテルに戻り、
朝食の後は支度を済ませ、
10:00にはホテルをチェックアウト。

バガン1有名な
アーナンダ寺院を目指します。


アーナンダ寺院(1090年)
建立:チャンシッタ王(在位1084〜1113)


独特のご本尊。立っているのも珍しい


チャンシッタ王は、
アノーラタ王の政策路線を継承しました。

当時は話し言葉しかなかった
ビルマ語の文字表記も確立。

周辺諸国との関係も良好で
平和と安定が保たれ、
彼の在位期間は一度も反乱が起きなかったそう。

アーナンダ寺院には、
チャンシッタ王の像があるそうですが、
私は見つけられず。

こうやって振り返ってみると
見れなかったものって結構あるんだなあ。

機会があれば
もう一度バガンに行ってみたい。

寺院入口に掲げられた黒板。人の名前と金額が書いてあるから、たぶん…寄付名簿?

寺院入口を出てすぐのところに立つ喫茶店。運転手さん曰く「ちゃんとしたコーヒーが飲める店」
私たちもここでひと休み。

今回の旅では
ほとんど買物をしていない私たち。

「地球の歩き方」によると、
ニューバガンから車ですぐのミンナンドゥ村は、
綿の生産で有名とのこと。

綿といえば布!
何か面白い布が買えるかもと、
村へ行ってみる事に。


ニューバガンを走行中には、賑やかな一行に遭遇。

明日2月12日は、ミャンマーのユニオンデー。
その祝いのパレードでした。


アウンサン将軍の像を担いでねりあるく
1947年2月12日、アウンサン将軍のもと、
英国植民地だったビルマの各民族代表が団結し、
独立への合意を交わしました。

そして、翌2月13日は
将軍のお誕生日でもあります。



12:00

ミンナンドゥ村



村に到着すると、
うちの運転手さんとも顔なじみらしき
若い女の子がやってきた。

この子は村のガイド役で
英語がとても上手。びっくり。
最近は日本語も習い始めたところだそう。


私たちが見て回ったのは、
恐らく一般民家なのですが、
自分たちの生活の場をそのまま
観光客に開放しているようです。

この時は屋根の葺き替え中でした。
(年に数回するそう)

村の人口や主な作物を手際良く説明し、
「ここがトイレで、台所で、」
と家の中を案内してくれます。

敷地内には、収穫された胡麻やピーナッツ、
とうもろこし等が積まれていました。

綿のほうはというと、
確かに手織りの機械があり、
織り途中の布もありましたが
大々的な生産ではなく、
自分達に必要な分だけ作るという印象。

観光客が姿を現すと、葉巻を作ったり、
糸を紡いだりと手を動かし始める
おばあちゃん達。

トウモロコシの葉で包んで作る葉巻

日本も昔は、こういう機械を使ってたんだろうなあ

実演してみせるのも、
おばあちゃん達の仕事のひとつみたい。

糸つむぎおばあちゃん、葉巻の吸いっぷりがカッコ良くてしびれました。左はおばあちゃんの孫。


13:00過ぎ

近くにはレストランもなさそうなので
この村の食堂でお昼に。

Kさん、ローカル食堂初体験!
ミャンマー焼きそばを2人でわけあって食べました。

注文してから出てくるまで
とても時間がかかりましたが
のんびり休憩できてよかった。

食堂にはバイクや自転車など
自力でやって来た欧米人客もちらほら。

英語で案内してくれた女の子は
食堂の給仕役にもなるし
ココナッツジュースの注文が入れば
ココナッツを割り、
臨機応変に仕事をこなしていました。

私たちは彼女に案内料金を支払っておらず、
最後にチップを渡したら戸惑われました。

かといって、
しつこい物売りはいないし
布の販売アピールもなし。

この村を観光客に開放することで
どれだけここの住民に
お金が入るのか(利益があるのか)
複雑な気持ちです。


最後に、村にあるパゴダへ立寄り。

赤い大地



村を出たあとは、
うるし工房に行ったり、
ローカル喫茶店でお茶したりしつつも
だいぶ早めに空港に到着。

ニャウンウー空港はとても小さいですが、
簡単なお土産屋さんに、
お茶できるコーナーもあります。

しかし、私たちの飛行機
「ヤダナボン・エアライン」は
1時間遅れになってしまい、
空港で3時間も待ちぼうけ。

さすがにここで3時間潰すのは辛かった…

しかも搭乗予定時刻になっても
なんの連絡も報告もなし。

イライラ…

ヤダナボンはシステム化されてないのか
なんと自由席。
せっかく早く空港来たのに
離ればなれの席になるかもしれないなんて…

よけいイライラ…

結局19:00頃になって搭乗開始。

搭乗間際、目に入ったのが
ヤダナボンの機体に
誇らしげに塗装されたフレーズ。

「Enjoy, Royal Service !」



ともかく、
無事に帰ってこれたのでよかったです。
楽しかった。




2016年2月15日月曜日

[バガンの旅4]1日目:絶景の連続!寺院とパゴダ尽くしの長〜い一日。

空港から少し車で走れば、もうこんなかんじ

どこを撮っても絵になるバガン


私たちの旅ルートは、
運転手さんにほぼお任せ。

必ず行きたい所だけ伝え、
あとは彼のオススメに
従うことが多かったです。

(そして、彼のオススメにはハズレがなかった)

平日ということもあって
観光客は少ないほうだったと
思います。



市場を出て少し車を走らせると、
レンガ造りのパゴダや寺院が見えてきました。


ニャウンウーから
オールドバガンまでは、
車で約10分。

まずはじめに車を止めたのは
オールドバガンへ向かう途中の場所。

「ナイスビューだから行こう」
と、運転手さん。



3人で歩くこと数分、
ある建物の屋上へ。

(レンガ造りの古い建物。
中に階段があるも真っ暗で、
ライトを照らしながら登る)


そして現れた、この景色。

イメージしていた「バガン」の風景そのもの!
農作業をする人々と牛

バガンに来たんだなあ、
としみじみ。



バガン出身の運転手、コーさん。
ロンジーにハンチング帽とデニムジャケットを合わせるお洒落さんでした

建物から降り、
停車した場所まで戻ると、
周囲にも小さい仏塔がたくさん。

小さいパゴダでも
外からひょいとのぞけば
仏様が鎮座し
微笑んでいます。

ここから私とKさんの、
バガン仏塔&寺院めぐりが
スタートしました。

この記事では、
実際に見て回った遺跡を
写真で振り返りつつ、
それらにまつわる歴史を
あわせて紹介していきます。

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本記事で紹介する歴史話は、ほとんどが以下の書籍を参照しています。
・歴史物語 ミャンマー 山口洋一著(カナリヤ書房) 
・ミャンマーを知るための60章 田村克己/松田正彦著(明石書店) 
ミャンマーの成り立ちや文化の起源がわかって非常に面白いです。旅行前にぜひ読みくらべしてみてください。但し、ビルマ族の起源等や形成には諸説あるため、ここに書いたことがすべて正しいとは限りません。ご了承ください。
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いざバガンの遺跡巡りへ!


ニャウンウーから
オールドバガンへ
これまたまっすぐ伸びる
幹線道路。

しばし走ると…
城壁で囲まれたオールドバガンの
入口「タラバー門」が見えてきました。




門の両脇には、バガン王が代々崇めたというナッ神「マハーギーリー」が今も祀られる。


この門は9世紀頃
ビルマ族のピンピャー王が、
バガンを都として築城した際
造ったもの。

ビルマ族は、
もともとチベットのほうから
移動して来た騎馬民族が起源
と言われています。


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ビルマ族以前に
現在のミャンマーの地に
先住していたのが、
ピュー族とモン族です。

農耕民族であるピュー族は、
エーヤワディ川中流域の
ピィという場所に、
ピュー王国を興していました。
(BC2〜7C頃)

ピュー王国には
モン族から仏教が伝わり、
さらには
インドの文化的影響を受け、
ヒンズー教の信仰も
許容されていたそうです。

7世紀頃になると、
ピュー王国は崩壊。
様々な部族との混合が進み、
ピュー族を母体とする
多様な集落が形成され、
エーヤワディ河流域の
広範囲に居住しました。

ビルマ族は、
そんなピュー族の集落を取り込み
勢力を拡大させていきます。

ピュー族は
ビルマ族が築城する以前から
バガンにも居住していた
と言われています。

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ミャンマー人旅行者の主な移動手段は、乗り合いトラックのようです。
トラックの屋根には荷物が山積み。


ピンピャー王は、
以前の記事で紹介した
アノーヤタのひいおじいさん。

門をくぐると、
すぐにこのアノーヤタ王が築いた
王宮跡が残っていました。

私たちはここを素通り。
降りてみておけばよかった!


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1044年に即位した
アノーヤタ王は、
モン族が南方に築いていた
タトン国(現在のモン州に位置)
を制圧し、パガン王朝を
ビルマ最初の統一国家にしました。

タトン国から優秀な僧侶、学者、
工芸職人等を移住させたので、
優れたモン族の文化が
バガンにもたらされます。

また、アノーヤタ王は
スリランカやインドから
多くの僧を招聘し、
バガンを上座部仏教の中心都市へと
作り上げて行きました。

同時に、伝説中の人物や
非業の死を遂げた人々を祀った
36の神々を定めたりしました。
(ナッ神信仰)

バガンに様々なスタイルの
寺院やパゴダが多数誕生するのは
ここからだそうです。

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タラバー門をくぐった時点で、
まだ午前10時。

紫外線が強く乾燥するバガンでは
午前中の時間をフル活用して、
観光を楽しむのがポイント。

いくつもの遺跡をいっぺんに廻るので
事前に寺院やパゴダを予習したものの、
どれがどれだか分からなくなっていきます。


ダビニュ寺院(1144年)
建立:アラウンシトゥー王(在位1112〜1163)

バガン1高層の寺院、タビィニュ寺院




アラウンシトゥー王は、
バガンで最も有名な
アーナンダ寺院(後述)を建てた
チャンシッタ王の孫にあたります。

度量衡を標準設定し統一、
ビルマ族の慣習を
全国に広めたりしました。

アラウンシトゥー統治期、
バガンは平和と繁栄を迎え、
彼自身も“慈悲深い王”として
国民に親しまれていたそうです。

しかし
上座部仏教を通じて交流のあった
スリランカとの関係が悪化。
さらには、
実の息子(次男)である
ナラトゥに殺されてしまいます。


そんなナラトゥは即位後
(在位1163〜1170)
自分の罪滅ぼしのため、
ダマヤンヂー寺院を
建てました。




ダマヤンヂー寺院(1165年)
建立:ナラトゥ王(在位1163〜1170)


ダマヤンヂー寺院の入口

ナラトゥは寺院の完成前に
殺されてしまいます。
今も寺院の工事は未完で、
(ずっと手をつけていない)

「地球の歩き方」によると、
“地元では夜に幽霊が出る”
とも言われているそうですが、

昼間はいたってのどか。
敷地内の大きな木には
たくさんの人形がぶらさがり、

伝統芸能の人形劇で使われる人形たち。
販売されてるものの、観光客は写真撮って満足。

大きくて強そうなのも…

土産物屋の売り子さん達が
あちこちでお弁当を広げ、

おいしそう。

レンガ色のわんこが
履物の管理人の如く
入口の真ん中を
陣取っていました。

すべての寺院やパゴダへは、裸足で入らなければなりません。ミャンマー観光はサンダルが必須!



ダマヤンヂー寺院そばには
ナラパティシトゥ王の建てた、
スラマニ寺院がありました。


スラマニ寺院(1183年)
建立:ナラパティシトゥ王(在位1174〜1211)


スラマニ寺院(1183)

ナラパティシトゥ王は、
アラウンシトゥ王の孫です。

彼は祖父の意志を
強く受け継いでいました。

アラウンシトゥ王が手がけていた
ビルマの慣習法を整理し、
ビルマ法大全を完成。

パーリ語記載のみだったのを、
ビルマ語とモン語版にも着手。

この頃、ビルマ語が
言語として確立し
バガン王朝における
ビルマ族文化の最盛期を迎えました。


スラマニ寺院の内部には、鮮やかな壁画がたくさん残っていました。





ナラパティシトゥ王の
そんな功績を今に伝えるかのように
他の寺院と比べると保存状態が良く
とても見応えがあります。

今回の旅ベスト3に入る
オススメの場所です。




12:00過ぎ
空港から直行して
朝8時から観光をはじめ、
ようやく昼になりました。

うるし工房へ立ち寄ったあと、
スパやホテルが併設した
外国人向けレストランへ。

そこはびっくりするほど高額な
タイ風ミャンマー料理。

とにかく量は多かったけど
好みの料理じゃあなかったなあ…



15:00過ぎ
ホテルに到着。

チェックインして、
ホテルのバーでひとやすみ。

欧米人家族やカップルが
のんびりプールを楽しむ姿を
眺めつつ、
午後のプランを考えます。

この日の夜、
本当は人形劇レストランへ
行きたかったのですが、
フロントで予約をお願いするも
すでに満席。

絶対観たい人は、
事前予約がおすすめ。




16:00
夕日の落ちる時間まで、
引き続き遺跡めぐり。

ナンパヤー寺院(?)
建立:タトゥン国マヌーハ王?

入口は閉まってることもあるそう。
この寺院は、
これまで見てきたのと違い、
外観が四角かった。

あとで調べたら、
モン様式の寺院なのだそうです。

タトゥン王国は、
モン族が興した国であり、
マヌーハ王統治の時
パガンのアノーヤタ王によって
滅ぼされました。

そのときマヌーハ王も、
バガンへ連行されることに。

ナンパヤー内部は、
薄暗く狭いのですが、
他のパガンの寺院にはなかった
柱の精巧な彫刻が印象的でした。

ここは、私たちのプランには
入っていなかった場所ですが、
運転手さんに薦められました。

Kさんお気に入りの寺院。

自然光のもとつややかに浮かびあがる、ヒンズー教の創造神・ブラフマー。


そしてその隣には、
同じくマヌーハ王が建てた
寺がもうひとつ。

マヌーハ寺院(1059年)
建立:タトゥン国マヌーハ王



大仏様の身体のサイズと
ほぼ同じ空間しかない、
寺院の内部。

同じ大きさの大仏様が
ここには3体あります。
(全部窮屈そう)


大仏様の指は、私よりも太い。
この指と壁の隙間から、参拝客は別の部屋へと移動します

この寺院は、マヌーハ王の
うっ屈した心情を
表しているんだそう。

実はこの3体の裏手に、
寝仏がもう1体あったのです。

私たちはそれに気づかず
見逃してしまいました…

ああ 
非常にくやしい。

私がこのバガン旅行で
いちばん見たかったの、
その寝仏だったんですよね…


マヌーハ寺院境内にて。


カメラ目線。



17:20
空がうっすら
赤くなってきました。

落ちる夕日を見届けるべく、
シュエサンドーパゴダに
バガン中の観光客が集う時間。

シュエサンドー・パゴダ(1057年)
建立:アノーヤタ王(在位1044〜1077)

パゴダの上部に見物客がぎっしり。

予想以上の人の数!
ベストポジションは
すでにギュウギュウ。

しかもこのパゴダ、
登るのが大変。

「サンセットは足下が悪いから」
とは聞いていましたが、
まさかあんなに
階段の傾斜がきついとは!

股を大きく広げる必要があり
ミャンマー伝統スカートの
ロンジーでは、
かなり上りにくいです。

スニーカーやサンダル等
歩きやすいものと、
パンツスタイルがおすすめ。


疲れも吹き飛ぶ、すばらしいながめ!



感動的な夕暮れでした。

バガンに来てよかった!
と心から思える美しさです。




日が落ちて、
やっとこさ地上へ降り立ち、
次に向かうは、
運転手さんおすすめの
ライトアップが美しい
シュエジーゴン・パゴダ。

シュエジーゴン・パゴダ(1087年)
建立:アノーヤタ王

ヤンゴンのシュエダゴンパゴダとそっくり。
境内に入ると、
ミャンマー人の若者グループに
「一緒に写真を撮って下さい」
となぜか声をかけられ、
みんなで記念撮影しました。

みんな屈託のない笑顔で
キャッキャッとはしゃいで
可愛かったです。

しかし、その直後
「幸運の金箔を貼りませんか」
というしつこい勧誘にあい
結局1枚貼る事に。

1枚買っただけなのに
あれよあれよと言う間に
5枚(無理矢理)貼らされた
Kさん。

「幸運が来るから5枚分払って」
と言われても…

売り子さんは
何度も「ラッキーマネー」
と言っていましたが、
こんなやり方で
幸運が訪れるわけないよー

足早に立ち去ったので、
このパゴダは
結局何がなんだかよく分からず。



1日の締めくくりは、
またまた運転手さんおすすめの
レストランで、夕食。


強い日差しの下で
一日中歩き回るなんて
いつぶりだっただろう。

カラカラの喉で飲んだ
ミャンマービールの
美味しかったこと!

その後のアルコールは、
もう1杯だけカクテルを。

21時前にはホテルに戻り、
明日に備えました。


その晩、ホテルの外で
ミャンマーではお馴染みの
仏教の歌?が
ほぼ一晩じゅう、
響き渡っていました。

(よくあることなのか、
ベッド脇には
耳栓のアメニティが!)

普段なら寝付けなかった
かもしれませんが、
この日はさすがに