→[バゴー1]ふってわいた、ヤンゴン日帰り旅。からの続き。
2月22日(土)朝7時半。
チャーターした車に乗って、
ヤンゴン市内の自宅を出発。
M氏をピックアップして、いざバゴーへ!
バゴーは、バゴー地方域の最大都市です。
(1991年まではペグーと呼ばれていました)
ヤンゴン地方域と北東で隣接していて、
ヤンゴン市内からは車で2時間くらい。
ピィ道路をひたすら北上し、
ヤンゴン・マンダレーハイウェイに入ります。
この日の朝は霧がひどく、窓の外は真っ白。
これほど霧深いのは珍しい。
どの車も、さすがにスピードを出しません。
周囲はほとんど何もなく、
田畑だけが広がっていました。
そんな風景が一変するのは、
ヤンゴン地方域とバゴー地方域の境目あたり。
タウチャン(Taukkyan)という町があり、
車窓越しに、大きな市場や店がたくさん見えました。
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「地球の歩き方」によると、
この町には、第二次世界対戦中、
ビルマ戦線やインド領で亡くなった
日本兵のお墓があるようです。
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タウチャンを抜け、
ヤンゴン・マンダレーハイウェイをさらに北上。
午前9時すぎにはバゴーに入りました。
濃霧で遅れがちかと思いきや、
約1時間半で到着!
まずは「地球の歩き方」地図にも載っている
ハダヤ・カフェで休憩。
カフェというより、大衆食堂
といった雰囲気です。
くつろぐ?、M氏と夫。顔出しNGなので、今回はこれで登場。 |
しゃべっていると、
いきなりたどたどしい日本語で、
ミャンマー人のおじさんが
話しかけてきました。
どこへ行くのか、どうやって来たのか
などいろいろ質問してきます。
夫たちは警戒感をあらわにするも、
私は途中でピンと来ました。
「この人は、
日本人のウェブ旅行記に何度も登場していた
トントンさんだ!」と。
日本人の個人旅行客を対象に
チャーターバイク運転手兼ガイドをしている
ミャンマー人。
トントンさんへの評価は、
どの書き込みも総じて良いものでした。
彼の写真もいくつかアップされてたので
顔もうっすら覚えていた私。
「私のこと知ってる?」と聞かれたので、
「日本人のネット書き込みで見ましたよ」
とこたえると、
すごくうれしそうでした。
その後、私たちが車で来ていると知るや、
すぐどこかへ消えていきました。
カフェを出て向かったのは、
シュエモードー・パヤー。
まずは入口で、入域料を払いました。
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外国人はバゴーへの入域料が必要。
徴収場所は各観光スポット入口にあります。
ひとり10,000チャットで入域券をくれるので、
それを無くさず持ち歩かなければいけません。
(バゴー市内の他のパゴダに行った際、
チケットを確認されることも)
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シュエモードーは改修中で、
ムシロのようなものに覆われていたのですが
「地球の歩き方」に載っている写真で
ヤンゴンのシュエダゴン・パヤーとそっくり
だとわかっていたので、
あまりショックじゃありませんでした。
ざっと一周して、
チャッカワイン僧院へ。
ここは、1000人もの僧侶が生活すると言われる
巨大な僧院です。
僧院は一般公開されているため、
観光客が内部の様子を見学することができ、
人気の観光スポットになっています。
特に、お昼の食事どきがピーク。
私たちがここに到着したのは10時半頃。
まずは30分間、僧院内をぶらぶら。
お昼に僧侶が現れるのを待つ、観光客(ほとんどがタイ人)。 |
広い教室では、試験が行われていました。 |
僧院を奥へ進むと、台所がみえました。
中では、僧侶とボランティアの人々が
たくさんの食事を作っているところ。
鍋がごえもん風呂のようです。 |
食事を食堂へ運ぶ。 |
午前11時。
食事の準備が整い、鐘が鳴らされます。
すると、建物の中から、続々と僧侶のみなさんが
一列に並んでやってきました。
一番先頭は、80くらいのおじいさんだったので
偉い人、僧侶経験の長い人から並ぶのでしょうか。
僧侶たちは、托鉢用の容器を肩からさげています。
観光客のなかでも信心深い人々は、
食品や金銭、日用品を、その中へ入れていきます。
大量のインスタント麺やお菓子を持参し、
寄進していました。
食堂の入口に立ち、僧侶一人一人全員に、
紙幣を一枚ずつ寄進する方も。
また、僧院側が用意した白飯を一皿買い求め、
それを僧侶に直接手渡す寄進方法もあります。
この行列が、数十分続きました。
先に食堂に入った僧侶は、
食べずに待っています。
私たちは、僧院の事務所で、
寄進して帰りました。
幹から直に、不思議な花が咲いています。ミャンマー版「沙羅双樹」とのこと。 |
続いては、バゴーの王宮跡。
一部レプリカで再現されていて、
無料で入ることができます。
復元されたタウングー王朝の王宮 |
オリジナルを建てたのは、
ビルマ族によるタウングー王朝の、
バインナウン王(在位1551〜1581年)だそうです。
私はバゴーの王宮=モン族(ペグー王朝)
のイメージがあったので、
これを建てたのがビルマの王朝と知り、
ちょっとがっかり(なんとなく)。
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バゴーが王朝の首都になったのは主に、
モン族のペグ―王朝(ハンタワディ王朝)
の1369年〜1539年と、
ビルマ族のタウングー王朝
の1539年〜1599年、1613年〜1634年。
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バインナウン王は1553年にこの王宮を建て、
「Kambawza thardi」と名付けました。
城壁の四方には、20もの門が設置されたそう。
(王宮はその後、1599年に火事(戦闘?)で崩壊)
当時の王宮は、こんな感じだったみたいです。
王宮での、戴冠式のようす。 |
描かれている王座は、
館内に復元されています。
ここでロンジー着て記念撮影したかったなあ…
(有料の王族衣装の貸出サービスやったら、ウケるはず!)
オール金! ゴージャス!!! |
パネル展示もなかなか興味深かった。
パナッ(ミャンマーサンダル)の正装用「ガディーバ」にそっくりな、ロイヤルスリッパ。 |
これが、今もセレモニーやパゴダに行く時に履かれているサンダル「ガディーバ」 |
ミャンマー伝統の人形劇で使う人形が、まさにこんな服着てます。 |
これが人形劇用の、人形。マンダレーの王族の服装だったのですね。 |
いろんな発見がありました。
ちょうどお昼になり、
これまた「地球の歩き方」地図に掲載の
小さな中華の食堂にいきました。
でてきたのは、
メニューから思い描く中華とは
まったく別物でしたが、
男性陣は「これはこれで旨い!」と
ビールが進んでいました。
午後からは、怒濤の巨大仏様観光です。
こちらは、ミャッターリャウン寝仏様。
驚きのスケールです。 |
み、見られてる! |
手前でお祈りしているのは、私たちの運転手さん。 |
ここもカップルにとってはデートスポット。 |
シュエターリャウン寝仏様。
御々足。 |
こちらも大きい! |
今回の旅唯一の、3人での記念撮影。 |
帰宅後、この仏様のすぐ近くに
日本人戦没者慰霊碑があることを
知りました。
そしてこれもあとでネットで知ったのですが
当時の日本軍が、このシュエターリャウン寝仏を訪れ、
仏様を見上げる姿が、写真で残されています。
寝仏様のいる建物を出ると運転手さんが、
「あそこにタンイェの店を見つけましたよ」
と教えてくれました。
M氏が同僚のミャンマー人に
「バゴーに行くんだ」と話した際、
その同僚から
「ぜひタンイェを飲んでみてください」
と薦められたそうです。
だから運転手さんに
「タンイェの店を見つけたら教えて」
とお願いしていました。
私も、噂には聞いていました。
タンイェは、
ヤシの一種「トッティ」から穫れる実の汁。
甘酒のようにほんのりアルコールが効いて
時間がたつと悪くなるので、
現地でしか飲めない貴重な飲み物。
M氏の同僚は、タンイェを飲むためだけに、
バゴーに来ることがあるそうです。
そんな話を聞いたら、飲みたくなりますよねえ。
シュエターリャウン寝仏の駐車場にある
トイレそばの小道を、
ずっと奥に進んだところにありました。
確かに看板には「タンイェ」の文字が!でも絶対自分じゃ気づかないな。 |
運転手さん、よくぞ見つけてくれました。
店の人に一杯いくらか聞いたところ、
1杯売りはなく、
5リットルくらいの容器を見せられました。
さすがにそんなにいらない…
と躊躇していたら、店員さんが試飲用に
コップ1杯持って来てくれ、
私たちは晴れてタンイェを堪能。
本当に、甘酒そっくりでした!
美味しかったです。
(一杯売りできるんなら、もっと宣伝するのになあ…)
トッティの木 |
さて、ここからいよいよモン族の村へ。
忘れてません。
モン族の村で布を買うという
私の裏ミッションを!
今回の旅での行き先は、
「希望ないからどこでもいいよー」
と、私にお任せの2人でしたので、
「布を買いに、モン族の村に行きたい」
と告げても嫌がる気配なく、
すんなり行く事ができたのでした。
ほっ
モン族の村とはいっても、
何か特別な標識があるわけでもなく、
布売り場も、みたところこの1軒のみ。
それは、「地球の歩き方」に載っている
A1(エーワン)というお店です。
シュエターリャウン寝仏から
車ですぐのところにありました。
右手が販売スペースで、左手が工房。 |
モン族の布の色は豊富でした。
モンの布は1枚7,000チャット。
正直、ヤンゴンで買うのと
ほとんど金額に差はありません。
とはいえ
本場のモン州まではなかなか行けないし
モン族の色合わせはたっくさんあるので、
ここでの一期一会を楽しむことに。
これ買いました。 |
実際に織っている姿が
隣接した工房で見られるのも
とてもよかったです。
同行してくれた男性方も、
興味津々で見学してました。
ナイロンひも、竹、木、など
身近にあるものを継ぎ合わせて
作ったのであろう、機織り機。
これには感動しました。
昔ながらの道具を今も使っている、
ということではなくて、これほどの道具から、
こんなに精密な柄を織る事ができるんだ
ということに、何だかハッとさせられました。
昔ながらの道具を今も使っている、
ということではなくて、これほどの道具から、
こんなに精密な柄を織る事ができるんだ
ということに、何だかハッとさせられました。
一枚織るのに、
どれだけの時間がかかるのかなあ。
こうやって手間をかけて作られた物が、
日本円で1000円くらいで買えるのです。
信じられない。
布、大切にしようと思いました。
午後3時すぎ。
いよいよバゴー旅の最後の目的地です。
チャイプーン・パヤー。
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