2016年3月5日土曜日

[バゴー2]巨大仏の町に、車チャーター日帰り観光。




2月22日(土)朝7時半。

チャーターした車に乗って、
ヤンゴン市内の自宅を出発。
M氏をピックアップして、いざバゴーへ!

バゴーは、バゴー地方域の最大都市です。
(1991年まではペグーと呼ばれていました)
ヤンゴン地方域と北東で隣接していて、
ヤンゴン市内からは車で2時間くらい。

ピィ道路をひたすら北上し、
ヤンゴン・マンダレーハイウェイに入ります。

この日の朝は霧がひどく、窓の外は真っ白。
これほど霧深いのは珍しい。
どの車も、さすがにスピードを出しません。

周囲はほとんど何もなく、
田畑だけが広がっていました。


そんな風景が一変するのは、
ヤンゴン地方域とバゴー地方域の境目あたり。
タウチャン(Taukkyan)という町があり、
車窓越しに、大きな市場や店がたくさん見えました。

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「地球の歩き方」によると、
この町には、第二次世界対戦中、
ビルマ戦線やインド領で亡くなった
日本兵のお墓があるようです。
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タウチャンを抜け、
ヤンゴン・マンダレーハイウェイをさらに北上。

午前9時すぎにはバゴーに入りました。
濃霧で遅れがちかと思いきや、
約1時間半で到着!


まずは「地球の歩き方」地図にも載っている
ハダヤ・カフェで休憩。
カフェというより、大衆食堂
といった雰囲気です。

くつろぐ?、M氏と夫。顔出しNGなので、今回はこれで登場。
しゃべっていると、
いきなりたどたどしい日本語で、
ミャンマー人のおじさんが
話しかけてきました。

どこへ行くのか、どうやって来たのか
などいろいろ質問してきます。

夫たちは警戒感をあらわにするも、
私は途中でピンと来ました。
「この人は、
日本人のウェブ旅行記に何度も登場していた
トントンさんだ!」と。

日本人の個人旅行客を対象に
チャーターバイク運転手兼ガイドをしている
ミャンマー人。
トントンさんへの評価は、
どの書き込みも総じて良いものでした。
彼の写真もいくつかアップされてたので
顔もうっすら覚えていた私。

「私のこと知ってる?」と聞かれたので、
「日本人のネット書き込みで見ましたよ」
とこたえると、
すごくうれしそうでした。

その後、私たちが車で来ていると知るや、
すぐどこかへ消えていきました。


カフェを出て向かったのは、
シュエモードー・パヤー。

まずは入口で、入域料を払いました。
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外国人はバゴーへの入域料が必要。
徴収場所は各観光スポット入口にあります。

ひとり10,000チャットで入域券をくれるので、
それを無くさず持ち歩かなければいけません。
(バゴー市内の他のパゴダに行った際、
 チケットを確認されることも)
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シュエモードーは改修中で、
ムシロのようなものに覆われていたのですが
「地球の歩き方」に載っている写真で
ヤンゴンのシュエダゴン・パヤーとそっくり
だとわかっていたので、
あまりショックじゃありませんでした。


ざっと一周して、
チャッカワイン僧院へ。

ここは、1000人もの僧侶が生活すると言われる
巨大な僧院です。
僧院は一般公開されているため、
観光客が内部の様子を見学することができ、
人気の観光スポットになっています。

特に、お昼の食事どきがピーク。
私たちがここに到着したのは10時半頃。
まずは30分間、僧院内をぶらぶら。

お昼に僧侶が現れるのを待つ、観光客(ほとんどがタイ人)。

広い教室では、試験が行われていました。




僧院を奥へ進むと、台所がみえました。

中では、僧侶とボランティアの人々が
たくさんの食事を作っているところ。

鍋がごえもん風呂のようです。
食事を食堂へ運ぶ。
午前11時。
食事の準備が整い、鐘が鳴らされます。
すると、建物の中から、続々と僧侶のみなさんが
一列に並んでやってきました。

一番先頭は、80くらいのおじいさんだったので
偉い人、僧侶経験の長い人から並ぶのでしょうか。

僧侶たちは、托鉢用の容器を肩からさげています。
観光客のなかでも信心深い人々は、
食品や金銭、日用品を、その中へ入れていきます。

特にタイからの観光客は、何組ものツアーが来ており、
大量のインスタント麺やお菓子を持参し、
寄進していました。

食堂の入口に立ち、僧侶一人一人全員に、
紙幣を一枚ずつ寄進する方も。


また、僧院側が用意した白飯を一皿買い求め、
それを僧侶に直接手渡す寄進方法もあります。


この行列が、数十分続きました。
先に食堂に入った僧侶は、
食べずに待っています。




私たちは、僧院の事務所で、
寄進して帰りました。


幹から直に、不思議な花が咲いています。ミャンマー版「沙羅双樹」とのこと。



続いては、バゴーの王宮跡。
一部レプリカで再現されていて、
無料で入ることができます。

復元されたタウングー王朝の王宮
オリジナルを建てたのは、
ビルマ族によるタウングー王朝の、
バインナウン王(在位1551〜1581年)だそうです。

私はバゴーの王宮=モン族(ペグー王朝)
のイメージがあったので、
これを建てたのがビルマの王朝と知り、
ちょっとがっかり(なんとなく)。

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バゴーが王朝の首都になったのは主に、
モン族のペグ―王朝(ハンタワディ王朝)
の1369年〜1539年と、
ビルマ族のタウングー王朝
の1539年〜1599年、1613年〜1634年。
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バインナウン王は1553年にこの王宮を建て、
「Kambawza thardi」と名付けました。
城壁の四方には、20もの門が設置されたそう。
(王宮はその後、1599年に火事(戦闘?)で崩壊)

当時の王宮は、こんな感じだったみたいです。

王宮での、戴冠式のようす。
描かれている王座は、
館内に復元されています。
ここでロンジー着て記念撮影したかったなあ…
(有料の王族衣装の貸出サービスやったら、ウケるはず!)

オール金! ゴージャス!!!

パネル展示もなかなか興味深かった。

パナッ(ミャンマーサンダル)の正装用「ガディーバ」にそっくりな、ロイヤルスリッパ。
これが、今もセレモニーやパゴダに行く時に履かれているサンダル「ガディーバ」

ミャンマー伝統の人形劇で使う人形が、まさにこんな服着てます。
これが人形劇用の、人形。マンダレーの王族の服装だったのですね。

いろんな発見がありました。


ちょうどお昼になり、
これまた「地球の歩き方」地図に掲載の
小さな中華の食堂にいきました。

でてきたのは、
メニューから思い描く中華とは
まったく別物でしたが、
男性陣は「これはこれで旨い!」と
ビールが進んでいました。


午後からは、怒濤の巨大仏様観光です。

こちらは、ミャッターリャウン寝仏様。

驚きのスケールです。

み、見られてる!

手前でお祈りしているのは、私たちの運転手さん。


ここもカップルにとってはデートスポット。


シュエターリャウン寝仏様。

御々足。

こちらも大きい!


今回の旅唯一の、3人での記念撮影。

帰宅後、この仏様のすぐ近くに
日本人戦没者慰霊碑があることを
知りました。

そしてこれもあとでネットで知ったのですが
当時の日本軍が、このシュエターリャウン寝仏を訪れ、
仏様を見上げる姿が、写真で残されています。


寝仏様のいる建物を出ると運転手さんが、
「あそこにタンイェの店を見つけましたよ」
と教えてくれました。

M氏が同僚のミャンマー人に
「バゴーに行くんだ」と話した際、
その同僚から
「ぜひタンイェを飲んでみてください」
と薦められたそうです。

だから運転手さんに
「タンイェの店を見つけたら教えて」
とお願いしていました。

私も、噂には聞いていました。
タンイェは、
ヤシの一種「トッティ」から穫れる実の汁。

甘酒のようにほんのりアルコールが効いて
時間がたつと悪くなるので、
現地でしか飲めない貴重な飲み物。

M氏の同僚は、タンイェを飲むためだけに、
バゴーに来ることがあるそうです。
そんな話を聞いたら、飲みたくなりますよねえ。

シュエターリャウン寝仏の駐車場にある
トイレそばの小道を、
ずっと奥に進んだところにありました。

確かに看板には「タンイェ」の文字が!でも絶対自分じゃ気づかないな。
運転手さん、よくぞ見つけてくれました。

店の人に一杯いくらか聞いたところ、
1杯売りはなく、
5リットルくらいの容器を見せられました。

さすがにそんなにいらない…

と躊躇していたら、店員さんが試飲用に
コップ1杯持って来てくれ、
私たちは晴れてタンイェを堪能。
本当に、甘酒そっくりでした!
美味しかったです。

(一杯売りできるんなら、もっと宣伝するのになあ…)

トッティの木

さて、ここからいよいよモン族の村へ。
忘れてません。
モン族の村で布を買うという
私の裏ミッションを!

今回の旅での行き先は、
「希望ないからどこでもいいよー」
と、私にお任せの2人でしたので、
「布を買いに、モン族の村に行きたい」
と告げても嫌がる気配なく、
すんなり行く事ができたのでした。

ほっ

モン族の村とはいっても、
何か特別な標識があるわけでもなく、
布売り場も、みたところこの1軒のみ。

それは、「地球の歩き方」に載っている
A1(エーワン)というお店です。

シュエターリャウン寝仏から
車ですぐのところにありました。

右手が販売スペースで、左手が工房。
布の種類は多くないものの、
モン族の布の色は豊富でした。

モンの布は1枚7,000チャット。
正直、ヤンゴンで買うのと
ほとんど金額に差はありません。

とはいえ
本場のモン州まではなかなか行けないし
モン族の色合わせはたっくさんあるので、
ここでの一期一会を楽しむことに。

これ買いました。

実際に織っている姿が
隣接した工房で見られるのも
とてもよかったです。

同行してくれた男性方も、
興味津々で見学してました。


布を織る様子
ナイロンひも、竹、木、など
身近にあるものを継ぎ合わせて
作ったのであろう、機織り機。
これには感動しました。

昔ながらの道具を今も使っている、
ということではなくて、これほどの道具から、
こんなに精密な柄を織る事ができるんだ
ということに、何だかハッとさせられました。


一枚織るのに、
どれだけの時間がかかるのかなあ。
こうやって手間をかけて作られた物が、
日本円で1000円くらいで買えるのです。
信じられない。

布、大切にしようと思いました。



午後3時すぎ。
いよいよバゴー旅の最後の目的地です。


チャイプーン・パヤー。
お、おおきい…





今回は、バゴーの歴史や言われは
ほぼ調べずに来てしまいましたが、
とにかくどれも見た目のインパクトがスゴイので、
何だかよくわからないけど、
「来て良かったね」って気持ちになりました。

バゴーの日帰り旅、おすすめです。

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