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空港から少し車で走れば、もうこんなかんじ |
どこを撮っても絵になるバガン
私たちの旅ルートは、
運転手さんにほぼお任せ。
必ず行きたい所だけ伝え、
あとは彼のオススメに
従うことが多かったです。
(そして、彼のオススメにはハズレがなかった)
平日ということもあって
観光客は少ないほうだったと
思います。
市場を出て少し車を走らせると、
レンガ造りのパゴダや寺院が見えてきました。
ニャウンウーから
オールドバガンまでは、
車で約10分。
まずはじめに車を止めたのは
オールドバガンへ向かう途中の場所。
「ナイスビューだから行こう」
と、運転手さん。
3人で歩くこと数分、
ある建物の屋上へ。
(レンガ造りの古い建物。
中に階段があるも真っ暗で、
ライトを照らしながら登る)
そして現れた、この景色。
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イメージしていた「バガン」の風景そのもの!
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農作業をする人々と牛 |
バガンに来たんだなあ、
としみじみ。
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バガン出身の運転手、コーさん。
ロンジーにハンチング帽とデニムジャケットを合わせるお洒落さんでした |
建物から降り、
停車した場所まで戻ると、
周囲にも小さい仏塔がたくさん。
小さいパゴダでも
外からひょいとのぞけば
仏様が鎮座し
微笑んでいます。
ここから私とKさんの、
バガン仏塔&寺院めぐりが
スタートしました。
この記事では、
実際に見て回った遺跡を
写真で振り返りつつ、
それらにまつわる歴史を
あわせて紹介していきます。
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本記事で紹介する歴史話は、ほとんどが以下の書籍を参照しています。
・歴史物語 ミャンマー 山口洋一著(カナリヤ書房)
・ミャンマーを知るための60章 田村克己/松田正彦著(明石書店)
ミャンマーの成り立ちや文化の起源がわかって非常に面白いです。旅行前にぜひ読みくらべしてみてください。但し、ビルマ族の起源等や形成には諸説あるため、ここに書いたことがすべて正しいとは限りません。ご了承ください。
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いざバガンの遺跡巡りへ!
ニャウンウーから
オールドバガンへ
これまたまっすぐ伸びる
幹線道路。
しばし走ると…
城壁で囲まれたオールドバガンの
入口「タラバー門」が見えてきました。
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門の両脇には、バガン王が代々崇めたというナッ神「マハーギーリー」が今も祀られる。 |
この門は9世紀頃
ビルマ族のピンピャー王が、
バガンを都として築城した際
造ったもの。
ビルマ族は、
もともとチベットのほうから
移動して来た騎馬民族が起源
と言われています。
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ビルマ族以前に
現在のミャンマーの地に
先住していたのが、
ピュー族とモン族です。
農耕民族であるピュー族は、
エーヤワディ川中流域の
ピィという場所に、
ピュー王国を興していました。
(BC2〜7C頃)
ピュー王国には
モン族から仏教が伝わり、
さらには
インドの文化的影響を受け、
ヒンズー教の信仰も
許容されていたそうです。
7世紀頃になると、
ピュー王国は崩壊。
様々な部族との混合が進み、
ピュー族を母体とする
多様な集落が形成され、
エーヤワディ河流域の
広範囲に居住しました。
ビルマ族は、
そんなピュー族の集落を取り込み
勢力を拡大させていきます。
ピュー族は
ビルマ族が築城する以前から
バガンにも居住していた
と言われています。
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ミャンマー人旅行者の主な移動手段は、乗り合いトラックのようです。
トラックの屋根には荷物が山積み。 |
ピンピャー王は、
以前の記事で紹介した
アノーヤタのひいおじいさん。
門をくぐると、
すぐにこのアノーヤタ王が築いた
王宮跡が残っていました。
私たちはここを素通り。
降りてみておけばよかった!
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1044年に即位した
アノーヤタ王は、
モン族が南方に築いていた
タトン国(現在のモン州に位置)
を制圧し、パガン王朝を
ビルマ最初の統一国家にしました。
タトン国から優秀な僧侶、学者、
工芸職人等を移住させたので、
優れたモン族の文化が
バガンにもたらされます。
また、アノーヤタ王は
スリランカやインドから
多くの僧を招聘し、
バガンを上座部仏教の中心都市へと
作り上げて行きました。
同時に、伝説中の人物や
非業の死を遂げた人々を祀った
36の神々を定めたりしました。
(ナッ神信仰)
バガンに様々なスタイルの
寺院やパゴダが多数誕生するのは
ここからだそうです。
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タラバー門をくぐった時点で、
まだ午前10時。
紫外線が強く乾燥するバガンでは
午前中の時間をフル活用して、
観光を楽しむのがポイント。
いくつもの遺跡をいっぺんに廻るので
事前に寺院やパゴダを予習したものの、
どれがどれだか分からなくなっていきます。
ダビニュ寺院(1144年)
建立:アラウンシトゥー王(在位1112〜1163)
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バガン1高層の寺院、タビィニュ寺院 |
アラウンシトゥー王は、
バガンで最も有名な
アーナンダ寺院(後述)を建てた
チャンシッタ王の孫にあたります。
度量衡を標準設定し統一、
ビルマ族の慣習を
全国に広めたりしました。
アラウンシトゥー統治期、
バガンは平和と繁栄を迎え、
彼自身も“慈悲深い王”として
国民に親しまれていたそうです。
しかし
上座部仏教を通じて交流のあった
スリランカとの関係が悪化。
さらには、
実の息子(次男)である
ナラトゥに殺されてしまいます。
そんなナラトゥは即位後
(在位1163〜1170)
自分の罪滅ぼしのため、
ダマヤンヂー寺院を
建てました。
ダマヤンヂー寺院(1165年)
建立:ナラトゥ王(在位1163〜1170)
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ダマヤンヂー寺院の入口 |
ナラトゥは寺院の完成前に
殺されてしまいます。
今も寺院の工事は未完で、
(ずっと手をつけていない)
「地球の歩き方」によると、
“地元では夜に幽霊が出る”
とも言われているそうですが、
昼間はいたってのどか。
敷地内の大きな木には
たくさんの人形がぶらさがり、
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伝統芸能の人形劇で使われる人形たち。
販売されてるものの、観光客は写真撮って満足。 |
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大きくて強そうなのも… |
土産物屋の売り子さん達が
あちこちでお弁当を広げ、
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おいしそう。 |
レンガ色のわんこが
履物の管理人の如く
入口の真ん中を
陣取っていました。
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すべての寺院やパゴダへは、裸足で入らなければなりません。ミャンマー観光はサンダルが必須! |
ダマヤンヂー寺院そばには
ナラパティシトゥ王の建てた、
スラマニ寺院がありました。
スラマニ寺院(1183年)
建立:ナラパティシトゥ王(在位1174〜1211)
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スラマニ寺院(1183) |
ナラパティシトゥ王は、
アラウンシトゥ王の孫です。
彼は祖父の意志を
強く受け継いでいました。
アラウンシトゥ王が手がけていた
ビルマの慣習法を整理し、
ビルマ法大全を完成。
パーリ語記載のみだったのを、
ビルマ語とモン語版にも着手。
この頃、ビルマ語が
言語として確立し
バガン王朝における
ビルマ族文化の最盛期を迎えました。
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スラマニ寺院の内部には、鮮やかな壁画がたくさん残っていました。 |
ナラパティシトゥ王の
そんな功績を今に伝えるかのように
他の寺院と比べると保存状態が良く
とても見応えがあります。
今回の旅ベスト3に入る
オススメの場所です。
12:00過ぎ
空港から直行して
朝8時から観光をはじめ、
ようやく昼になりました。
うるし工房へ立ち寄ったあと、
スパやホテルが併設した
外国人向けレストランへ。
そこはびっくりするほど高額な
タイ風ミャンマー料理。
とにかく量は多かったけど
好みの料理じゃあなかったなあ…
15:00過ぎ
ホテルに到着。
チェックインして、
ホテルのバーでひとやすみ。
欧米人家族やカップルが
のんびりプールを楽しむ姿を
眺めつつ、
午後のプランを考えます。
この日の夜、
本当は人形劇レストランへ
行きたかったのですが、
フロントで予約をお願いするも
すでに満席。
絶対観たい人は、
事前予約がおすすめ。
16:00
夕日の落ちる時間まで、
引き続き遺跡めぐり。
ナンパヤー寺院(?)
建立:タトゥン国マヌーハ王?
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入口は閉まってることもあるそう。 |
この寺院は、
これまで見てきたのと違い、
外観が四角かった。
あとで調べたら、
モン様式の寺院なのだそうです。
タトゥン王国は、
モン族が興した国であり、
マヌーハ王統治の時
パガンのアノーヤタ王によって
滅ぼされました。
そのときマヌーハ王も、
バガンへ連行されることに。
ナンパヤー内部は、
薄暗く狭いのですが、
他のパガンの寺院にはなかった
柱の精巧な彫刻が印象的でした。
ここは、私たちのプランには
入っていなかった場所ですが、
運転手さんに薦められました。
Kさんお気に入りの寺院。
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自然光のもとつややかに浮かびあがる、ヒンズー教の創造神・ブラフマー。 |
そしてその隣には、
同じくマヌーハ王が建てた
寺がもうひとつ。
マヌーハ寺院(1059年)
建立:タトゥン国マヌーハ王
大仏様の身体のサイズと
ほぼ同じ空間しかない、
寺院の内部。
同じ大きさの大仏様が
ここには3体あります。
(全部窮屈そう)
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大仏様の指は、私よりも太い。
この指と壁の隙間から、参拝客は別の部屋へと移動します |
この寺院は、マヌーハ王の
うっ屈した心情を
表しているんだそう。
実はこの3体の裏手に、
寝仏がもう1体あったのです。
私たちはそれに気づかず
見逃してしまいました…
ああ
非常にくやしい。
私がこのバガン旅行で
いちばん見たかったの、
その寝仏だったんですよね…
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マヌーハ寺院境内にて。 |
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カメラ目線。 |
17:20
空がうっすら
赤くなってきました。
落ちる夕日を見届けるべく、
シュエサンドーパゴダに
バガン中の観光客が集う時間。
シュエサンドー・パゴダ(1057年)
建立:アノーヤタ王(在位1044〜1077)
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パゴダの上部に見物客がぎっしり。 |
予想以上の人の数!
ベストポジションは
すでにギュウギュウ。
しかもこのパゴダ、
登るのが大変。
「サンセットは足下が悪いから」
とは聞いていましたが、
まさかあんなに
階段の傾斜がきついとは!
股を大きく広げる必要があり
ミャンマー伝統スカートの
ロンジーでは、
かなり上りにくいです。
スニーカーやサンダル等
歩きやすいものと、
パンツスタイルがおすすめ。
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疲れも吹き飛ぶ、すばらしいながめ! |
感動的な夕暮れでした。
バガンに来てよかった!
と心から思える美しさです。
日が落ちて、
やっとこさ地上へ降り立ち、
次に向かうは、
運転手さんおすすめの
ライトアップが美しい
シュエジーゴン・パゴダ。
シュエジーゴン・パゴダ(1087年)
建立:アノーヤタ王
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ヤンゴンのシュエダゴンパゴダとそっくり。 |
境内に入ると、
ミャンマー人の若者グループに
「一緒に写真を撮って下さい」
となぜか声をかけられ、
みんなで記念撮影しました。
みんな屈託のない笑顔で
キャッキャッとはしゃいで
可愛かったです。
しかし、その直後
「幸運の金箔を貼りませんか」
というしつこい勧誘にあい
結局1枚貼る事に。
1枚買っただけなのに
あれよあれよと言う間に
5枚(無理矢理)貼らされた
Kさん。
「幸運が来るから5枚分払って」
と言われても…
売り子さんは
何度も「ラッキーマネー」
と言っていましたが、
こんなやり方で
幸運が訪れるわけないよー
足早に立ち去ったので、
このパゴダは
結局何がなんだかよく分からず。
1日の締めくくりは、
またまた運転手さんおすすめの
レストランで、夕食。
強い日差しの下で
一日中歩き回るなんて
いつぶりだっただろう。
カラカラの喉で飲んだ
ミャンマービールの
美味しかったこと!
その後のアルコールは、
もう1杯だけカクテルを。
21時前にはホテルに戻り、
明日に備えました。
その晩、ホテルの外で
ミャンマーではお馴染みの
仏教の歌?が
ほぼ一晩じゅう、
響き渡っていました。
(よくあることなのか、
ベッド脇には
耳栓のアメニティが!)
普段なら寝付けなかった
かもしれませんが、
この日はさすがに