龍山堂は、前記事で書いた「慶福宮」同様、福建省出身の華人によって1877年に建てられました。
ただ、こちらは特定の一族(曾家と邱家)によって作られた場所。彼らのルーツである、中国晋朝の王の子孫や祖先を祀っています。訪れる人もまばらで、大抵いつ訪ねてもひっそりとしていますが、見学は自由です。
他2つの廟とは違って比較的小さいですが、それでも一族だけでお堂を建ててしまうなんてすごい。とても裕福な家系だったんでしょうね。
私たちが先日訪ねたときは、先客は地元のおじさんが一人だけ。
ヤンゴンの歴史に興味があって龍山堂に立ち寄ったことを伝えると、なにやら非常に納得してくれて、お堂内を案内してくれました。しかし、オールミャンマー語だったので、ほぼ理解できず… ああ残念!
ただ、こちらは特定の一族(曾家と邱家)によって作られた場所。彼らのルーツである、中国晋朝の王の子孫や祖先を祀っています。訪れる人もまばらで、大抵いつ訪ねてもひっそりとしていますが、見学は自由です。
他2つの廟とは違って比較的小さいですが、それでも一族だけでお堂を建ててしまうなんてすごい。とても裕福な家系だったんでしょうね。
私たちが先日訪ねたときは、先客は地元のおじさんが一人だけ。
ヤンゴンの歴史に興味があって龍山堂に立ち寄ったことを伝えると、なにやら非常に納得してくれて、お堂内を案内してくれました。しかし、オールミャンマー語だったので、ほぼ理解できず… ああ残念!
龍山堂の紹介サイト(英語)によれば、中央から向かって右に福徳聖神、中央に如来菩薩と観音、左に祖先が祀られているそうですが、やはり私にはどれがどれかわからずじまいでした。
龍山堂のお堂内 |
神様はガラスケースに納められており、かつ柵越しで、お顔もよく見えません |
曾家と邱家は非常に教育熱心な一族だったそう(客家かな?)。
それがいちばんよくわかるのは、一族の人間がどこどこの大学で学士や修士を取ったと記したプレートです。本堂の隣に併設されたスペースに、ズラリと掲げられていました。上海の复旦大学やイギリスのケンブリッジなど、名門ぞろいです。
一族の子供達に十分な教育を受けさせるべく、龍山堂では教育資金の支援(奨学金制度)を行なっていたとのこと。おそらくその支援を受けて、世界へ羽ばたいた子供たちのものなのでしょう。
中庭には九龍壁が。慶福宮と同じく、庭を広く設けた作り。 |
龍山堂は、Anawratha Rd.に面した非常にわかりやすい立地にあるんですが、龍山堂の外壁一面に店が軒を連ねているため、入り口を見つけにくいです。(私は何度も車で通り過ごし、結局この一帯を歩いて探してやっと見つけました…)
行く時は、見逃さないようにご注意を!
入り口が埋もれてしまっている… |
3大廟を巡り終えて
中華系の廟って、とても寛容で開かれた印象があります。私が、仏教の影響を多大に受けている日本で生まれ育っているからでしょうか。ここが、特定の神様(信仰)だけを祀るのではなく、多種多様な神様が同居する場所だから、というのも大きいかもしれません。
その寛容さのおかげで、私たちは気軽に見学ができ、見学することで、ヤンゴン中華街の歴史に触れることもできました。私はこれまで華僑っていってもあまりピンと来なかったのですが、今回彼らの軌跡を知ったことで、少し興味がでてきました。(知る機会って大事ですね)
余談ですが、今年11月、絶好のタイミングで広東省(広州)に行けることに。
夫の用事について行くだけなので、実質現地で動けるのはまる2日。しかも幼児連れだから、メインは子供の楽しめるスポット観光になりそうですが、広州の風土と広東語に触れることができるのが嬉しい。楽しみです!
(それはまた番外編で、旅レポートを作ろうと思います)
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↓3大廟の地図はこちら