シンプルなレンガ造りの外観とは対照的な、絢爛豪華な内部装飾が印象的。 |
ヤンゴン中華街最古の廟
1885年、ラングーンが英国領ビルマの首都となった時、現在の中華街エリアには、すでに中国廟が存在していました。それが1824年、広東省の出身者たちによって創設された、観音古廟です。
1824年頃のミャンマー史を見ると、まだマンダレーにはビルマ族のコンバウン王朝があって、マハバンドゥーラ(軍指揮官)がインド進出を目指したがためにイギリスに攻撃されたりしてる時代。その頃からヤンゴンは、渡来人であふれていたのでしょうか。
観音古廟があるのは、中華街のど真ん中。
植民地時代には「広東大街」と呼ばれていたマハバンドゥーラ通りに面し、廟のすぐ脇(20番通り)では早朝から深夜まで食堂や屋台、露天市場が営業する、とても賑やかな場所です。"串焼きストリート”として人気の19番通りからもすぐなので、旅行中でも立ち寄りやすいかもしれません。
マハバンドゥーラ通りに面した、廟の入り口。 |
観音古廟となりの通りに立ち並ぶ屋台。 |
以前、「広東大街」一帯は広東人ばかりが住んでいたそう。特に大工や細工職人としてやって来た人が多かったため、観音古廟を創立する際は、彼らの技術を結集し精巧な装飾が施されました。しかし、その後火災や老朽化などで何度も再建され、最近では2002年に大改修が行われたとのこと。
観音古廟内に飾られた、緻密な彫刻。 |
観音古廟では、観音菩薩や航海神の天上聖母(媽祖)、商業神の山西夫子(関羽、商業・職業の神)、北帝爺などたくさんの神様が祀られています。
今回知ったのは、観音菩薩は人々を苦しみから救うだけでなく、水陸両方の商人を守る神としても信仰されている、ということ。また北帝爺とは玄武大帝(上帝公)を指し、北方位を統括する水の神なのだそうです。大海原を命がけでやって来た人々が、"水”にまつわる神々を非常に大事にしていることが、よく分かりました。
…ただ、実際に祭卓を一つ一つ見て回っても、どれがどの神様かさっぱり検討がつきません。これがわかれば、廟の見学がもっと楽しくなりそうです。
観音古廟の祭卓に鎮座する神様。これも結局なんの神かわからずじまい… |
左の、赤い肌に黒ひげは関羽っぽいですよね。 |
そういえば、廟では運試しのおみくじが引けます(慶福宮、龍山堂にもあった)。私も今回、はじめてトライしました。
竹串のような棒がたくさん入った大きな筒を両手で持ち、上下にジャカジャカ降ったあと、筒を下に傾けます。そうすると何本か飛び出てくるので、その中で一番長く前に突き出た棒を、抜き取ればOK。
その棒を、出入り口付近のカウンターに持って行くと、棒に書かれた番号の紙をもらえました。私のは、これ。
全くわからん… |
うーん、ネガティブな漢字があるのであまり良い結果ではなさそう。そばにいたおじさんに見せたら、紙を燃やしてくれました。(悪いのは燃やすみたいです)
おみくじは無料ですが、代わりに線香を買うとか、楽しませてもらったお礼としてほんの気持ちを賽銭箱(寄付ボックス?)に入れるとよいかもしれません。
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ヤンゴン中華街を歩こう[4]3大廟巡り〜 龍山堂 編
↓3大廟の地図はこちら
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