2016年7月26日火曜日

私の地元(超田舎)で働く、ミャンマー人実習生たち。

ロンジー(!)で、自転車通勤してるらしい。巻き込みにはご注意を!

1年半ぶりに地元へ。


7月14日から先週末まで一時帰国し、
実家にも顔を出してきました。

私の地元は、宮崎の北のほう。
東京からは、飛行機で宮崎空港に飛び
空港から特急電車で1時間、
さらに車で20分ほどかかります。

山と川に囲まれたかなりの田舎で、
最寄り駅(ウチから車で5分くらい)には
一日3回くらいしか電車がとまりません。

実家のある場所はさらに山深く、
携帯電話の電波も限定的。
いつもは両親の2人暮らしなので、
インターネットもつないでいません。

我が地元の風景。山、川、山。線路はほぼ“飾り”。

山奥の田舎にも技能実習生が!


驚いたことに今、
そんな宮崎の田舎に
4人のミャンマー人が暮らしています。

日本における新たな働き手として
ニュースでも話題の「技能実習生」です。

実習生の職場は、奇遇なことに
私の母の勤め先の工場でした。

数ヶ月前、母からLINEで突然
「ミャンマーの人はどんな食べ物をあげれば喜ぶ?」
と送られてきた時はたまげた。

当時、
実習生の出勤を目前に控えている
ということだったので、
とりあえず挨拶の言葉を教えると、
母は見事、それを実践。

「最初に会った時、
ミンガラーバって言ったら、
笑って返事してくれたよ。」

その後も、
「鶏のからあげは好きみたい」
「お米はよく食べるって!」
「シュークリームはすごく喜んだ」
と、
彼女達の食事情が届きました。

母とのやりとりから、
・4人全員が女性(20代と30代)
・出身地域はバラバラ
・日本語はコミュニケーションとれる程度
・アパート1室に4人で共同生活
・ミャンマーの家族に仕送りしている
などの情報もわかってきました。


田舎での実習生の生活。

彼女たちの日本での共同生活は、
決して余裕のあるものではないようです。

アパートは、工場まで自転車で15分。
通勤で使えるバスも電車もないので、
基本的に自転車移動です。
(地元の人はほぼ100%、車移動。
本当にまあ、
よくここまで来てくれました。)

地元の町には、19時に閉まる
小さいスーパーひとつしかないので、
定期的に、日本人の同僚が交代で
買い出しに連れていくんだそう。

物価の高い日本では、
食費も相当節約しているので、
自宅で作る米や野菜を
差し入れする方も多いみたい。

田舎の工場ですから、
超・地元密着型の職場環境。
実習生達は真面目でよく働くので、
職場のほうでも一丸となり
彼らの生活をサポートしようと
いろいろ工夫しています。

勤務している他の社員さんも
同じ地域に住んでる人たちばかり。
ずっと、みんなで助け合って
働いてきました。

私が子どもの頃は、
同級生のお母さんの多くが
その工場で働いていたものです。
そして今、私の同級生たちが、
たくさん勤めている。
そういう場所です。


実習生にミャンマー食材を!


そこで私も、帰国にあわせて
実習生たちへお土産を、
買っていくことにしました。

彼女達は何が欲しいか
母に聞いてもらったところ、
「モヒンガースープの素」
とのリクエストがありました。

ミャンマー国内のミャンマー人曰く
「モヒンガは、外で美味しく新鮮なものが
いつでも食べられます。
市販のモヒンガスープの素を買うのは
海外在住のミャンマー人だけですよ。」

たしかにそうなんでしょう。
それでもヤンゴンのスーパーには、
いろんな種類のモヒンガスープが並ぶ。
それだけ海外に出る人が多いのかな。

とにかく、貴重な機会だし、
私は持てるだけのミャンマー食材を
ヤンゴンから宮崎へ運ぶことにしました。

2年間のヤンゴン暮らしをもとに、
厳選した“ミャンマー食材”みやげについては、
また別に書こうと思います。

…とはいえ、実際に重たい土産を
宮崎まで運んだのは我が夫君。
ありがとうございます。
結果は又聞きですが...
すごーく喜んでもらえたとのこと。


思いかえせば10年前、
私が中国に留学したのとほぼ同時に
母の工場には初の外国人となる、
中国人の王さんが入社しました。

そして今回、
私がミャンマーに渡ったタイミングで
今度はミャンマー人実習生が
やってきたのです。

ちなみに工場には、
王さん夫婦と実習生以外の
外国人はいません。
ただならぬ縁を感じてしまう。

「ちー(私)のおかげで、
外国人との話題ができていいわ」
と、母。

故郷を出てはや10数年。
さらに母国を離れていてもなお、
こんなかたちで役にたてるのは
うれしいです。

2016年7月14日木曜日

【ヤンゴン百景28】ミャンマー語の名物先生、サンダーさん。

サンダー先生。ピンクでまとめたロンジースタイルがすてき!


ヤンゴンのダウンタウン、
ボージョー市場向かいの27番通り。
ここに「SAKURA Lauguage School」という、
語学学校があるのをご存知でしょうか。
日本語とミャンマー語を教える
この学校の代表(兼教師)を務めるのは、
ミャンマー人女性のサンダー先生です。

私は現在、ここで週に1回、
ミャンマー語を習っています。
まだはじめて1カ月半ですが、
先生の教え方は、実に的確。
日本人がどこでつまづくか、
何を知りたいかを、経験的に分かってる。

とても若いサンダー先生ですが、
話を聞くと20代前半で学校を立ち上げ、
(前身の施設もあわせると)
今年で8年目になるとか。


どうして日本語に興味を持ったのか
なぜ自分で学校を作ったのか、
いろいろ質問していたら、
とても興味深い話が聞けたので紹介します。

以下、サンダーさんのお話です。


------------------------------



日本に興味を持ったきっかけ

高校生の頃、
日本のアニメ「となりのトトロ」を
テレビで見ました。
五月とメイの家の、
畳とか引き戸がすてきで、
日本に興味を持ちました。

日本語の勉強

高校を卒業した後、母から
「何か他の言語を勉強してみたら」
って言われたので、
日本語を選びました。

いちばんはじめは、
ヤンゴン外国語大学(YUFL
の敷地内にあった日本語学校に
1年間参加しました。

面白い日本人女性の先生で、
授業の時は毎回みんなで大笑い。
私も先生が大好きで、
勉強している感覚はなかったですね。
ただ楽しくて、
文法なんて無視した日本語で
自分の好きなことをいっぱい書いて、
よく先生に見せていました。
今思えば、とても迷惑な生徒ですね(笑)。

その後、日本人のおさむ先生の
Win Japanese School」に通いました。
おさむ先生は厳しかったですが、
とても優しい方でした。

それから日本語検定のL2(現在のN2)

に合格したものの、
日本人と話す機会はなかったので、
会話はほとんどできませんでした。

語学学校の前身、図書室のこと

2008年頃、もっと日本人と話したくて、
日本の本を集めた図書室を
自分で開く事にしました。

図書室っていっても、
日本人とミャンマー人の
交流の場が欲しかったんです。
人が集まりやすいよう、
ダウンタウンの中心にある
28番通りにしました。

最初は自分で家賃が払えなくて、
母にも援助してもらいました。
日本語の本も、
ダウンタウンの古本屋さんで、
母と一緒に買ったんです。
もう今は処分してしまいましたが、
多い時には3,000冊あったんですよ。

家賃の足しにしようと思い、
図書室は会員制にしました。
会費は、6カ月で1万チャット。
でも人数は多くなかったので、
会費で支払えるのは電気代くらい。
日本人の会員の方が
家賃を支援してくれたことも。

ある時、図書室に来てくれた

日本人女性の方から、
「ヤンゴン在住の日本人は少ないから、
観光客を集めたら?」
とアドバイスをもらったんです。
それで「図書室では無料で、
ヤンゴンの情報を提供しますよ」
と、観光客に宣伝することにしました。

その女性の方は、
ヤンゴンのゲストハウスやホテルを
私と一緒に廻ってくれました。
それがきっかけで、
バックパッカーの方たちが、
少しずつ図書室に来てくれて。
じわじわ口コミで、
「あそこに行けば日本人に会える」
「ミャンマー人から情報もらえる」
と知られるようになりました。



ミャンマー語の授業はほとんどマンツーマンだそう。


家族のこと

2009年頃から有料で、
ミャンマー語や日本語の授業をしたり、
旅行者向けの観光ツアーをはじめました。
家賃は自分で払えるようになりましたが、
お金が貯まる状態でもなかった。

そんな私を見て母はよく、
「学校なんてやめて、会社に勤めたら」
と言っていました。
父は数年前に亡くなりましたが、
娘が自分で学校を作ったことを
とても誇らしく思ってくれてたようです。

父はタウングーという田舎の出身で
昔はよく私の自宅に、タウングーから
親戚が遊びに来ていました。
ダウンタウン育ちで都会っこの
兄と姉は興味がなく、
親戚とおしゃべりを
楽しんでいたのは私だけ。
その影響からか、
私も都会っこのはずなのに、
「話し方や考え方が田舎っぽい」
とよく言われます。

母は、なんだかんだいって、
いつも私を助けてくれます。
末っ子だからかもしれませんが、
今では「自由に生きなさい」
と言ってくれます。


学校をつくる

SAKURA Lauguage School」と
名前をつけて、
きちんと学校を設立したのは、
32th通りに引っ越した2012年のこと。

その時は生徒さんもたくさんいて、
先生も4人に増えていました。
でも、順調だったのは短い間だった。
当時はお金に余裕ができたからか、
自分も少し、おかしかったかもしれません。
いろいろあって、
うまくいかない時期が続きました。

でも、そのうちだんだんと
「ゼロからやりなおそう」と
気持ちの切り替えができた。
2016年には現在の27th通りに移転して、
たくさんの人に応援してもらって
今は順調に学校を運営しています。


日本語レッスンは、現在2名体制でやってます


時々「一緒に学校をやりませんか」
とお誘い頂くこともあります。
パートナーがいればとても心強いですが、
自分の理想の学校を作るなら、
一人のほうがよいと考えています。

最近日本語でブログをはじめました。
自分の言葉で、私の思っていること、
ミャンマーについて知ってほしいこと等を、
これからはどんどん、
情報発信していきたいです。



===============
サンダーさん メモ

・出身:ヤンゴン生まれ、ビルマ族
・日本の好きな所:
 何をやるにも責任感があるところ
・好きな日本語:「可愛い!」
 「素敵!」「好き!」
・口癖:「アトウトウベー
 (同じです、私もです)」
・好きなレストラン:
 こいのぼり、勝、おいしい寿司
・休日の過ごし方:娘と過ごす
・ヤンゴン観光のおすすめ:民族村
===============
------------------------------


ミャンマー人とはいえ若い女性が、
ダウンタウンに部屋を借り、
自分で運営していくのは、
大変なことだったと思います。

でも、先生のひたむきさと熱意を
周りのたくさんの方々が認めて支え続け、
いまの学校が作られているんだなあ、
と思いました。


[学校の場所について]

ボージョー市場周辺は賑やかですが、
27通りは地元の人々の暮らしが
生き生きと感じられる所。
ヒンズー寺院や小学校があるので、
授業中にお経(のようなもの)や、
子ども達の号令の声など、
いろんな音が聞こえてきて楽しいです。

ボージョーアウンサン通りから、27番通りへ。

学校の看板。建物3階(ミャンマー的には2階)です


Sakura Language School
No.196(second floor), 27 Street(upper block), Pabedan Township, Yangon
Tel: 09-31288154, 09-420087419
ミャンマー語教室さくらのブログ はコチラ
保存保存
保存保存保存保存保存保存保存保存