特製カクテル「ペグークラブ」。ストランドホテルのバーにて。 |
突然ですが。シンガポールを訪れる外国人にとって、白亜のラッフルズホテルで「シンガポール・スリング」を味わうことは、旅の大きな楽しみの一つですよね。
到底その知名度には及ばないものの、ここミャンマーはヤンゴンにも、ぜひ味わってもらいたい魅力的なカクテルがあるんです。
その名も「ペグークラブ」。
シンガポール・スリング同様、サボイホテルやストランドホテル等ヤンゴンの一流(?)バーで提供しているカクテルです。そしてその1杯には、とても興味深い歴史ストーリーが秘められていました。
「ペグークラブ」とは。
「ペグー」とは、ヤンゴンの北にある町「バゴー」の植民地時代の呼び名ですが、ネーミングの由来は別にあります。ヤンゴンが英領植民地の首都・ラングーンだった時代に存在した、イギリス人のための社交場「ペグークラブ」です。
1910年頃のペグークラブ。画像:Wikipediaより |
画像:ASIAN ARTより |
「ペグークラブ」建設には、1852年にイギリスが下ビルマ(現在のヤンゴンやバゴーを含む、ビルマ(現ミャンマー)の南半分)を占領した歴史的背景があります。
(1853年…日本にペリーの黒船来航)
イギリスはヤンゴンをラングーンと改称し、ダウンタウンの整備を進めました。ダウンタウンには、南アジアや中華圏からの商人や労働者が溢れ、その北側に、英国軍の常駐地が広がっていたそうです。1882年、その常駐地だったエリアに「ペグークラブ」は建てられました。
政府高官や軍将校、富裕層が集い、1910年には会員数が350人にものぼります。当時は他に「ジムカーナ」と「ボートクラブ」という社交場があったものの、最も一流とされたのが「ペグークラブ」であり、そこで親しまれていたのがこの特製カクテルでした。
「ペグークラブ」に行ってみよう。
そんな一流クラブの栄華も1930年代末には過去のものとなり、第二次世界大戦中には日本軍が売春宿として使用していた、なんて話もあるとか…。そして今なお、当時の場所にひっそりと佇んでいます。ただ、ただ、もの言わず静かに。そんな果ての姿がよりいっそう、昔ここがどれだけ華やかな場所であったか、想像力を掻き立てる気がします。
ヤンゴンのダウンタウンには、植民地時代の建築物が山のように残っていますが、リノベーションされてるもの、当時のまま使われているもの、立入禁止で今にも朽ち果てそうなもの等いろいろです。
「ペグークラブ」は、確実に「朽ち果てそうなもの」の一つであり、立入禁止になっています。周りのミャンマー人に聞いても、この社交クラブの存在を誰も知りませんでした。ただ面白いのは、建物のすぐそばにあるバス停が「ペグークラブ」と名付けられていることです。タクシーの運転手さんにも、「バスストップなら知ってるよ」と言われました。ロシア大使館の北側にあるので、場所はとても探しやすいです。
GoogleMAPなら、Pegu Club, yangon で検索! バーのアイコンが表示されてますが、100年近く前に閉店してます… |
2015年10月現在のペグークラブ。柵越しでしたが、当時の面影は感じられました |
「ペグークラブ」を味わおう。
…長々と書いてきましたが、ヤンゴンのカクテル「ペグ―クラブ」、興味をもって頂けたでしょうか。私の知る限り、このカクテルを提供しているのはストランドホテルとサボイホテルの2軒ですが、他にもありそうですよね。
容赦ないヤンゴンの太陽の下、実際に社交クラブを訪れたあとの冷えたカクテルは、最高に美味しかったですよ!(8割方、雰囲気に酔っていたわけですが…)
他にもストランドホテルでは「バガンブリーズ」や「ラングーンスリング」など、思わず味わってみたくなるネーミングの特製カクテルがあって、観光客としてはうれしい発見でした。ここのバーは本当に居心地がよかったので、ダウンタウン散策のひと休みにもおすすめです。
どうぞ、楽しいヤンゴン観光を!
(2018年12月 追記)
なんとペグークラブが再開発され、イベントスペースとしてオープンしました。何かしらのイベント開催時なら、私たちでも中に入ることができます!
先日、ここを会場に開催されたクリスマスバザーに行って来ました!建物見たさにたっかい入場料を払って。
外観はほぼ当時のまま残されているように感じます。
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